古代三関の研究と歴史学入門

大学生・社会人向け歴史学入門。自身の研究テーマは「三関(鈴鹿・不破・愛発関)の成立起源と停廃理由」

古代史料の読み方と古文書学 〜類聚三代格を読み下す〜

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前回の記事では日本古代史研究に使う史料を紹介しました。

今回は実際に史料をご覧いただいて読解してみようと思います。

『類聚三代格』を使って、史料読解と古文書の基礎知識を解説します。

『類聚三代格』とは

先に『類聚三代格(るいじゅさんだいきゃく)』について簡単に説明しておきます。

古代は「律令」という現代で言う法律が定められていました。律は刑法、令はそれ以外の法律です。

この律令の修正法が「格(きゃく)」です。『弘仁格』『貞観格』『延喜格』が作られ、これらに収録された有効法をまとめて分類・編集したものが『類聚三代格』です。

律令制の実態や変遷を研究するうえで重要な史料です。僕個人の感想ですが、古代史研究で最もおもしろい史料だと思います。

『類聚三代格』応禁断両京僣奢喪儀事

史料読解の例として紹介するのは『類聚三代格』の中にある「応禁断両京僣奢喪儀事」という条文。

僕が大学2回生の時のゼミでレポートを書いた条文でございます。

まずは条文の原文をご覧ください。返り点は『国史大系』によるものです。

太政官符

 応断両京僣奢喪儀

右被右大臣宣称。奉 勅。送終之礼必従省要。如聞。豪富之室。市郭之人。猶競奢靡不遵典法。遂敢妄結隊伍仮設幡鐘。諸如此類不勝言。貴賤既無等差。資材空為損耗。既窆之後酣酔而帰。非唯虧損風教。実亦深蠹公私。宜下二所司厳加捉搦。自今以後勿使更然。其有官司相知故縦者。与所犯人並科違勅罪。仍於所在条坊及要路明加牓示

  延暦十一年七月廿七日

読み下し文

  1. 太政官符す
  2. 応に両京喪儀を僣奢(せんしゃ)することを禁断すべき事
  3. 右、右大臣の宣を被るに称(いは)く、
  4. (闕字)(ちょく)を奉(うけたまは)るに、送終の礼は必ず省要に従へ。
  5. 聞くならく、豪富の室、市郭の人、猶お奢靡(しゃび)を競ひて典法に遵はず。遂には敢て妄りに隊伍を結び、仮に幡鐘を設ける。諸(もろもろ)(かく)の如きの類、勝言すべからず。貴賤既に等差なく、資材空しく損耗を為し、既に窆(ほうむ)るの後酣酔して帰る。唯(ただ)風教を虧損するのみにあらず、実に亦た公私を深く蠹(むしば)む。
  6. 宜しく所司をして厳かに捉搦(そくじゃく)を加ふべし。自今以後(じこんいご)、更に然らしむることなかれ。其れ官司相知りて故に縦(ゆる)さば、所犯の人と並びに違勅罪(いちょくざい)を科せ。仍りて所在の条坊及び要路に明らかに牓示(ぼうじ)を加えよ。
  7. 延暦十一年七月二十七日

1. 太政官符す

符とは律令制において上級の官司が下級の官司に命令を下すための公文書です。

この場合は律令の最高国家機関である太政官から出された符で、太政官符(だじょうかんぷ)と称されています。

読み下す場合は「太政官、符(ふ)す」と主語・述語の組み合わせで読みます。

2. 条文の表題

次に来るのは条文の表題です。この表題に条文の要旨が書かれています。

「応」は「まさに~すべし」という意味を表します。この応は「禁断」にかかっているので「まさに~禁断すべき事」と読み下します。

両京とは条坊制で都の行政区を左京と右京で分けたため、すなわち都全体のことを指しています。こういった法令文を読む時は、全国発布なのか範囲を限定しているのかも重要。裏を返せば都の外ではこの太政官符が無効ということです。

喪儀はお葬式、僣奢とは身分不相応な贅沢のことです。つまり「両京で身分不相応な葬式を禁断すべき事」という表題になります。

3. 導入部分

「右」というのは表題のことです。このブログでは横書きなので上に書かれていますが、実際は縦書きで右に書かれています。

右大臣は藤原継縄です。国史大系では注で書いてくれていますが、わからない場合は『公卿補任』を参照しましょう。

4. 闕字について

原文で「勅」の前に空白があるのがお気づきでしょうか。読み下しでは(闕字)と表しました。

闕字(けつじ)とは、天皇や天皇に関する用語が出てきた際に敬意を払って前に空白を置く慣習です。

現代の感覚で言えば、手紙や文書で相手方の名前の前に自分の名前や他の文章が来るのを嫌うのと似ていますね。

勅は天皇の仰せであるため敬意を払って闕字を入れます。闕字よりも敬意を払う場合は空白どころか文を改行する「平出(へいしゅつ)」という慣習もありますた、

ちなみに勅は「みことのり」と読みますが、同じ読みの「詔」と区別するために「ちょく」と読んでいます。詔が天皇の意思を伝える公文書なのに対し、勅は天皇の意思を下達するための文書(口頭によるものもある)です。

「奉る」は「たてまつる」と読んでしまいそうですが、古文書の上では「うけたまはる(「承る」と同じ)」と読みましょう。「たてまつる」では下から上へ献上するという意味になってしまいます。

「省要に従へ」は、必要な内容のみに留め簡略にせよという意味です。律令制下では薄葬が基本であり、しばしば薄葬が強調されていました。

5. 現状の問題を言及

「聞くならく」は「聞いたところによると」という意味で、ここから伝聞した内容が始まります。

現状の憂うべき問題が言及されます。『類聚三代格』はいずれの条文も、具体的な問題を取り上げてから命令を下すという論理的な構成となっています。読み物として非常におもしろいです。

ただ、この内容の部分は非常に読むのが難しいです。公卿は有識なエリートなので難しい表現も容易く使ってきます。それどころか宣旨の中で文学的な芸術性も表現しようとする者も……。

簡単に要約しますと、みんな葬儀のルールに従わず豪華で身分不相応な葬式をしており、資材を損なうどころか風紀が乱れた状態になっているということを言及しています。

6. 罰則の規程

ここからは罰則の規定が書かれています。捉搦とは「とらえからめる」ことで、要するに捕まえて縛り上げることです。

自今以後は「今より以後」ということで「今後同じようなことがないように」という意味になります。また、罪を犯した官司が知人だからと言って見逃せば、その者も同様に違勅罪を科すように命じられています。

ここで原文の方を見ていただきたいのですが、古文書の基本にして重要な一文字「者」が出てきます。

「者」はだいたい3種類の読み方と意味を持ちます。

  1. もの:人を指す語「~する“者”」
  2. は:主語と述語を結ぶ格助詞「A“は”Bである」
  3. ば:仮定・確定条件の接続助詞「~ゆるさ“ば”」「~ゆるせ“ば”」
  4. てへり:引用の終了を意味する

今回の「者」は3つ目の「ば」に該当します。「縦さば」で「ゆるしたならば」という仮定条件になります。

所在の条坊及び要路とは両京のこと、牓示は立て札などで周知させることを意味します。

7. 年月日を西暦・太陽暦に

延暦十一年は西暦に直すと792年です。また日付は太陽太陰暦で書かれているため、太陽暦に直すと7月27日は8月19日です。実際に史料を読む際にはここまでの作業は不要ですが、

日付の「廿」の一字で「二十」を表します。十の縦棒を2本に増やして結んだのが廿です。「丗」ならば三十、「卌」ならば四十です。

太陽太陰暦は月の満ち欠けの周期(新月→満月→新月)を1ヶ月とし、1ヶ月は29.5日(29日か30日)で1年は354日になります。

太陽暦の365日と比べて11日も少ないだけに、季節がずれていきます。そこで太陽の動きを参考にして3年に1回閏月を入れることで調整しました。閏月を入れるタイミングは二十四節気に基づいた計算によりましたが、その詳しい方法については割愛します。

単純に解釈してはいけない

この法令を単純な葬儀の緊縮と奢侈の禁止令と解釈してはいけません。

キーワードは「僣奢」です。「僣」一文字で「身分不相応」という意味で、単に「奢」と記さず「僣奢」と記しているところに注意しましょう。

律令制において墓を造ることができるのは五位以上の官人のみで、葬儀の方法や道具立てについても官位に応じて規定されていました。

また、文武天皇や元明天皇など天皇自らが薄葬を遺言するなど、薄葬はしばしば強調されました。

この太政官符で指摘されている葬儀の現状は、身分や官位による葬儀のあり方を規定した律令制の原則に違反しているのです。

つまり律令制に基づいた身分秩序の是正こそが本当の目的なのです。

このように『類聚三代格』の多くは、「道徳的な命令で相手が身動きを取れないような状態にし、その裏で真の目的となる命令を通す」という構成の法令が多いです。

今回の条文では「資材を節約しろ。風紀を乱すな」という道徳的な命令の裏で「身分秩序を明らかにしろ」という真の命令を下していたわけです。

史料は読み下して表面上の意味を理解するだけではまだまだ足りず、その法令が出された背景と真の目的を追求してようやく及第点なのです。

偉そうに言っておきながら、僕は表面上の単純な解釈をするところまでしか辿り着けませんでしたけどね。もちろん教授に絞られました(笑)

『類聚三代格』応禁断出馬事

できれば「者」を「てへり」と読み下す方法を説明したいところ。

そこでもう1つ条文を取り上げます。『類聚三代格』の中の「応禁断出馬事」です。

これも僕が大学2回生の時のゼミで、「応禁断両京僣奢喪儀事」の次にレポートを書いた条文です。

太政官符

 応断出一レ馬事

右得陸奥国解称。検案内。太政官去弘仁六年三月廿日符称。中納言兼右近衛大将従三位行陸奥出羽按察使勲三等巨勢朝臣野足奏状称。軍団之用莫於馬。而権貴之使豪富之民。互相往来。捜求無絶。遂則託煩吏民強夷獠。国内不粛大略由之。非唯馬直踊貴兼復兵馬難得。仍去延暦六年下騰 勅符特立科条。而年久世移。狎習不遵。望請。新下厳制更増禁断者。被右大臣宣称。奉 勅。宜強壮之馬堪軍用者勿上レ国堺。若違此制者罪依先符。物則没官。但駄馬者不禁限者。然則禁断之制自昔成例。如今年世移久。制法弛紊。儻有機急亦支禦。望請。新増厳制。堪軍用者不牝牡皆咸禁断。以備警固。謹請官裁者。右大臣宣。奉 勅。依請。若違制旨者罪准先格。物亦如之。

  貞観三年三月廿五日

読み下し文

  1. 太政官符す
  2. 応に馬を出すことを禁断すべき事
  3. 右、陸奥国の解(げ)を得るに称く、
  4. 案内(あない)を検ずるに、太政官去る弘仁六年三月二十日の符に称く、
  5. 中納言兼右近衛大将従三位(じゅさんみ)(ぎょう)陸奥出羽按察使勲三等巨勢朝臣野足の奏状に称く、
  6. 軍団の要は馬より先んずるものなし。而(しか)るに権貴の使、豪富の民、互いに相い往来して、捜し求むること絶うることなし。遂には則ち煩いを吏民に託して夷獠を犯強す。国内粛せざるは大略これに由る。唯(ただ)馬の直(あたい)踊貴するのみにあらず、兼ねて復(ま)た兵馬得難し。仍りて去る延暦六年騰勅符(とうちょくふ)を下して特に科条を立つ。而るに年久しく世移ろい、狎習して遵はず。望み請うらくは、新たに厳制を下して更に禁断を増さんことを、者(てへり)
  7. 右大臣宣を被るに称く、勅を奉るに、宜しく強壮の馬、軍用に充つるに堪ふるものは、国堺を出すことなかるべし。もしこの制に違はば、罪は先符に依り、物は則ち官に没す。但し駄馬は禁ずる限りにあらず者(てへり)
  8. 然れば則ち禁断の制、昔より例を成す。如今(じょこん)、年世移ること久しく、制法弛み紊(みだ)る。儻(たまたま)機急あらば、亦た支え禦(ふせ)ぐべかり難し。望み請うらくは、新たに厳制を増し、軍用に堪うれば、牝牡を論ぜず、皆咸(ことごと)く禁断し、以て警固に備えんことを。謹みて官裁を請はん者(てへり)
  9. 右大臣宣す。勅を奉るに、請(こい)に依れ。もし制の旨に違うものあらば、罪は先格に准じ、物も亦たかくの如し。
  10. 貞観三年三月二十五日

者(てへり)は引用の終了

この条文で注目したいのは「」の読み下し方。

上述しましたが改めておさらいしますと、古文書を読む上で「者」は

  1. もの:人を指す語「~する“者”」
  2. は:主語と述語を結ぶ格助詞「A“は”Bである」
  3. ば:仮定・確定条件の接続助詞「~ゆるさ“ば”」「~ゆるせ“ば”」
  4. てへり:引用の終了を意味する

以上の4種類の読み方があり、この条文は4つ目の「てへり」で読むところが3ヶ所登場します。

者(てへり)は「ここまでが引用ですよ」という意味で、終わりのカギ括弧と同じ用法です。

つまり、どこからどこまでが引用なのかに注意して読んでいくことが大事です。

3. 陸奥国の解の引用開始

解(げ)とは上申文書のことで、陸奥国から太政官への申請ですね。

そして「称く」から陸奥国の解の引用が始まります。

4. 弘仁六年三月二十日の符の引用開始

ここから陸奥国の解の内容なのですが、さらに弘仁六年三月二十日の符の引用が「称く」から始まります。引用が入れ子になっている形ですね。

弘仁六年三月二十日の符とは『類聚三代格』禁断出馬事という法令です。今回の条文とほぼ同じタイトルですが「応」が付いていませんね。『類聚三代格』を見れば並んで掲載されています。

5. 巨勢朝臣野足の奏状の引用開始

ここから弘仁六年三月二十日の符の内容なのですが、さらにさらに中納言兼右近衛大将従三位行陸奥出羽按察使勲三等巨勢朝臣野足の奏状の引用が「称く」から始まります。

中納言兼右近衛大将従三位行陸奥出羽按察使勲三等という長い肩書きですが、人物名は巨勢朝臣野足(こせのあそんのたり)です。

この肩書きの中で、読み下しの際に注意したいのは「従三位」の部分。三位を「さんい」ではなく「さんみ」と読むのがポイント。

その理由は「散位」と読み分けるためです。三位は公卿に相当する位階なのに対し、散位は位階を持っているが官職に就いていない者。同じ読みでも意味は大違いです。

三位は「さんみ」、散位は「さんに」と読む慣例となっています。

6. 巨勢朝臣野足の奏状の内容

巨勢朝臣野足の奏状の内容です。ここからようやく条文の中身が見えてきます。

内容をざっくりとまとめると、貴族層が東北から優秀な馬をこぞって求める動きがあり、それが軍需用の馬の欠乏に繋がる事態を引き起こしていることを指摘しています。

延暦六年騰勅符(『類聚三代格』延暦六年正月廿一日官符「応陸奥按察使禁断百姓与夷俘交関事」のことか)で既に禁制は出ているが、年月を経たことで誰も遵わなくなってしまったのです。

そこで禁制を増すことを望み請うというのが巨勢朝臣野足の奏状による訴えです。

6.の文末に最初の者(てへり)が登場します。これは5.の文末の「巨勢朝臣野足の奏状に称く」から始まった引用の終了を意味します。

7. 弘仁六年三月二十日の符の内容

巨勢朝臣野足の奏状の引用が終わり、弘仁六年三月二十日の符に戻ります。

奏状の内容を受けて、右大臣(藤原園人)によって陸奥・出羽国から馬を持ち出すことを禁止されました。

ただし、この符では無条件な馬の持ち出しは禁止にしておらず「駄馬」は例外としています。駄馬を駄犬の如く「駄目な馬」と解釈してしまいがちですが、駄馬は荷物の運搬用の馬です。

そして7.の文末の者(てへり)にて、4.の文末「去る弘仁六年三月二十日の符に称く」から始まった引用が終了します。

8. 陸奥国の解の内容

弘仁六年三月二十日の符の引用が終わり、陸奥国の解の内容に戻ります。

禁制が加わったにもかかわらず、制法が機能していないことが陸奥国より訴えられています。

弘仁六年の官符では駄馬の国外持ち出しは認められていましたが、この解では軍用に堪える馬であれば一切の持ち出しを禁止するよう措置を強化することが求められています。

おそらく駄馬を名目とした国外への馬の持ち出しが頻繁に行われていたことが考えられます。東北は名馬の産地であり、中央貴族への贈り物として持ち出したいと考える者が多かったのでしょう。

そして8.の文末の者(てへり)にて、3.の「陸奥国の解を得るに称く」から始まった引用が終了します。

間違ってはいけないのは「堪軍用者」の者。これは「てへり」ではなく仮定・確定条件の「ば」なので、「軍用に堪うれば」と読み下します。前後関係からどう読み下すか考えましょう。

9. 貞観三年格の内容はここから

ここまでのほとんどが引用で、ここでようやく貞観三年三月廿五日格の内容が始まります。

右大臣(藤原良相)によって「請いに依れ」と陸奥国の要求通り禁制を加え、「罪は先格に准じ、物も亦たかくの如し」罪と馬の処理は先例と同じとすることが命じられています。

内容の考察以上に、読み下しの段階でどこからどこまでが引用文なのかを整理しないと理解が難しい条文でした。

史料読解は読み下しが最重要

史料読解においては歴史の専門的知識や考察も大事ですが、読み下しをしっかりできることが最重要です。

史料内容の意味は読み下しができれば自ずと理解できますし、逆に考察を深めたところで読み下しが間違っていれば台無しです。

読み下しをする上で注意するべきは返り点の打ち方、再読文字や接続詞の解釈、そして漢字一文字の意味です。

特に漢字一文字に対して、どのように読んでどんな意味なのかを地道に調べる作業を怠らないようにしましょう。『大漢和辞典』を何度も参照することになると思いますが、史料が少しずつ理解できてくると楽しくなってくるかと思います。

もし史料読解の練習をしたいという人は、今回取り上げた『類聚三代格』がおすすめです。『国史大系』に収録されているので、図書館へ行くか国立国会図書館デジタルコレクションで参照してみてください。

国立国会図書館デジタルコレクション

新訂増補 國史大系〈第25卷〉類聚三代格・弘仁格抄

新訂増補 國史大系〈第25卷〉類聚三代格・弘仁格抄