古代三関の研究と歴史学入門

大学生・社会人向け歴史学入門。自身の研究テーマは「三関(鈴鹿・不破・愛発関)の成立起源と停廃理由」

古代三関と関制の基礎知識 〜鈴鹿・不破・愛発関の研究〜

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関所は防御施設として全国各地に置かれ、律令制以降には交通検察の機能を有しました。

そして美濃国不破関、伊勢国鈴鹿関、越前国愛発関を三関と総称し、三関は古代の日本において最重要視された関所でした。

三関は成立起源がわかっておりません。また、三関は789年に停廃されましたが、その理由も不明のままです。

まずは三関と関制の概要を紹介し、これから考察していく論点を提示します。

古代日本における関制の始まり

日本における関の制度は遅くとも7世紀頃に始まったとされています。

元々は軍事上の防御施設として、律令制以降は浮浪・逃亡を防ぐ交通検察施設として全国の各道に関が置かれました。

関の初見記事は『日本書紀』大化二年正月甲子朔日条(改新の詔)で、「初めて畿内に関を置いた」とあります。

また、『類聚三代格』承和二年十二月三日条によれば、陸奥国に初めて関(正確には剗という表記)が設置されて400年余りが経過しているとあります。

つまり関の成立が畿内では西暦646年、陸奥国では西暦435年前後まで遡ることができます。

また、詳細な場所を記しているものとしては『日本書紀』天武八年十一月朔庚寅条で「龍田山と大坂山に関を置いた」という記述が初見です。これは難波宮における羅城の築造に伴って設置されました。

関と剗の違い

『令義解』職員令大国条によると、関は勘検を行うのに対して剗(せん)は防御を専門とする施設です。

関と剗は混同して使用されることもあるため、明確に区別されていなかった可能性もあります。

本稿では便宜上、関と剗は建造物的に同一のものと見なして、表記を「関」で統一しています。

三関とは不破・鈴鹿・愛発の3つの関所

全国に数多ある関所の中で最重要視されたのが

  1. 美濃国 不破関(ふわのせき)
  2. 伊勢国 鈴鹿関(すずかのせき)
  3. 越前国 愛発関(あらちのせき)

の3つの関で、三関(さんげん)と総称されました。

三関は他の関よりも重要視され、天皇の崩御や政治的事件などの非常事態時には固関(こげん)が行われました。

固関とは関を固く閉ざして守護することで、反乱者が東国へ逃げ出ることを防ぐ目的で行われました。

つまり三関は国家防衛を担う重要な施設だったのです。

三関の成立年代と停廃した理由の追求が本稿のテーマ

国家防衛の上で重要視されていた三関ですが、不破・鈴鹿・愛発関のいずれも成立年代が明らかではありません。

そして三関は789年に突然停廃されて機能を失うのですが、停廃に到った真の理由が不明です。

また、停廃後も固関の慣習だけは残りましたが、儀式的な慣例へと変化していきます。

本稿では、

  1. 三関の成立年代の考察
  2. 三関の停廃理由の考察
  3. 停廃後の三関の行方

の3パートに分けて論じていきます。

そして古代日本における三関の存在意義を評価することを目的とします。

次回の記事:三関の成立年代に関する先行研究

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次回の記事では三関の成立年代について、『日本書紀』壬申紀の記述をめぐった先行研究を紹介します。