古代三関の研究と歴史学入門

大学生・社会人向け歴史学入門。自身の研究テーマは「三関(鈴鹿・不破・愛発関)の成立起源と停廃理由」

不破関跡を歴史フィールドワーク

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前回の鈴鹿関跡に引き続き、古代三関のひとつ不破関跡を歴史フィールドワークしてきました。

場所は岐阜県関ケ原町。JR関ケ原駅で降りて不破関跡と壬申の乱の史跡を巡ります。そしてJR垂井駅へ移動し美濃国府跡を目指します。

実施日は2018年10月3日(水)です。

関ケ原駅から不破関跡へ

関ケ原駅

JR関ケ原駅で下車。京都からICOCAを使って来ましたが、JR東海圏内なので改札を通れませんでした。

駅の向かいにある関ケ原駅前観光交流館。ここで壬申の乱スポット巡りのマップを入手。

国道21号線を西へ歩いて不破関跡を目指します。

この辺りは壬申の乱だけでなく関ケ原合戦の舞台ということもあり、道中には史跡が多数あります。ここは西の首塚。

中山道(東山道)

松尾の信号で細い道へ入っていきます。「これより中山道」という案内があります。

中山道(なかせんどう)は内陸経由で江戸と京都を結んだ道です。対して太平洋沿岸経由で結んだのが東海道です。

中山道は江戸時代からの交通路のため、今回の目的である不破関の視点から見ると古代の東山道(とうさんどう)として見る方がいいですね。

不破関は中央を東山道が通り抜ける形で建てられており、東端は写真の辺りで東城門があったそうです。

城門は日の出と共に開門、日の入りと共に閉門しました。

不破関関庁跡と大海人皇子の兜掛石・沓脱石

不破関関庁跡と大海人皇子の兜掛石・沓脱石への案内板があるのですが、「え、ここ入っていいの?」ってところへ誘導されます。明らかに民家の敷地内です。

不破関関庁跡

畑の中央に茂みがあり、この周辺が不破関の中心建物跡です。

瓦屋根の塀で囲まれた約1町(108m)四方の関庁が設けられたそうです。内部には庁舎・官舎・雑舎などが建ち並び、周辺土塁内には兵舎・食料庫・兵庫・望楼などなどが建っていました。

大海人皇子の兜掛石

ここに祀られている石は、壬申の乱の時に大海人皇子が兜を掛けた石と伝えられています。

大海人皇子の沓脱石

その近くに大海人皇子が沓脱石があります。周囲に草木が生い茂っているので今は靴を脱ぐのに使えませんね。

不破関守跡

不破関守跡

関庁跡よりしばらく西に進むと不破関守跡に着きます。

関守は789年の停廃より後に任命されたと考えられており、この辺り一帯が関守の屋敷跡です。

関守宿舎は関庁跡推定地の西南隅に東山道(中山道)を挟んで位置する、段丘際の眺望の良いところにあったようです。

松尾芭蕉句碑

「秋風や 藪の畠も 不破の関」と、松尾芭蕉もここで一句詠んでいます。

不破関資料館から藤古川

不破関資料館

不破関守跡からすぐ近くに不破関資料館があります。

発掘調査によって不破関の概要が明らかになったことをきっかけに、1982年に不破関跡の一角にこの資料館が建設されました。

入館料は1人200円。館内には不破関に関する史料や復元模型などの展示がありました。

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この記事にもあるように僕は卒業論文の終盤に和歌を取り上げたのですが、不破関資料館の展示で取り上げられているのを見て使うことを決めました。

卒業論文は図書館で完結するとは思わず、一度現地へ足を運ぶことは有益ですよ。

不破関西城門跡

不破関資料館を出て少し坂道を下りたところに看板があり、その周辺に西城門があったそうな。

戸佐々神社

その看板のすぐ横から戸佐々神社へ。少し開けたところに社があるだけの小さな神社です。

藤古川

西城門跡より西へ行くと大きな川があり、これが不破関の西限だった藤古川です。

左岸の河岸段丘上に主要施設が築造され、不破関は自然を使った要塞だったというわけです。

壬申の乱では藤古川を挟んで東側が大海人皇子、西側が大友皇子が陣地としました。

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鈴鹿関跡へ行った際に西城跡築地痕跡近くで門があったのではないかと妄想をしましたが、それはこの付近の景色を思い出したからです。

ただし、不破関は街道が通っているのに対して鈴鹿関はそうではなさそうですからね。

大谷吉隆墓地

藤古川よりさらに西へ行き、大谷吉隆墓地があります。これは関ケ原の合戦の史跡ですね。

矢尻の池

そのすぐ近くに矢尻の池があります。壬申の乱の際に大友皇子軍の兵士が水を求めて矢尻で掘ったものとのこと。

池というよりも井戸に近いですね。水は出ておらず、ただ窪みが名残として残っているだけです。

黒血川と自害峰の三本杉

自害峰の三本杉を目指します。看板通り、簡単に整備された道を進んでいきます。

大通りと合流したポイントに出てきます。ここに黒血川の案内板が。

駅前でもらった地図だとここよりもさらに西へ行ったところが黒血川のスポットになっていますが、遠いですしここで十分です。

看板のあるところからだと茂みで川が見えませんが、

黒血川

少し道路を歩けばこのように黒血川を眺めることができます。

壬申の乱で両軍の兵士の流血が川底の岩石を黒く染めたことからこの名が付いたとのこと。

そう言われると確かになんとなく黒く濁っているように見えますね。

黒血川の案内板のすぐ横から丘を登りますよ。

自害峰の三本杉

少し登ったところに自害峰の三本杉があります。壬申の乱で破れた大友皇子は自害、この場所に首が葬られていると伝えられています。

大友皇子は実際に天皇として即位したとは言い切れませんが、明治になってから弘文天皇と諡号が贈られました。そして自害峰の三本杉が弘文天皇御陵候補地とされています。

若宮八幡神社

少し道を戻って若宮八幡神社を目指します。

若宮八幡神社

若宮八幡神社の創建は不明ですが元応二年に大友皇子を祀ったと史料上にあるとのこと。

本殿は檜皮葺用いた桃山様式の貴重な例らしいですが、うーん、普通の屋根に見えます。

井上神社

東城門跡辺りまで戻ってきました。ここから井上神社を目指します。

不破関鍛冶工房跡

道中に不破関鍛冶工房跡があります。

東限と南限の土塁が交差するポイントで、その内側から炉壁や鉄滓などが出土したため奈良時代の工房跡とされています。

また、中世の陶器と共に中国銭が数多く出土したことから、鎌倉時代には伊勢街道沿いのこの地点で関銭が徴収されていたようです。

井上神社

井上神社に到着。東の若宮八幡神社には大友皇子が祀られているのに対し、西の井上神社には大海人皇子(天武天皇)が祀られています。

南限の土塁跡

来た道を戻らず、新幹線のガード沿いを歩いてしばらく進むと南限の土塁跡があります。はっきりと残っていますね。

北・東限土塁跡

国道21号線の松尾の交差点まで戻ってきました。

道路を渡って開戦地の案内がある方へ。不破関の北・東限土塁跡を目指します。

宇喜多秀家陣跡の方向へ。

さらにしばらく進み、ここに来てようやく不破関の北限土塁跡への案内板が。

手前にある墓地にキジがいましたので思わずパシャリ。初めて見ました。

北限土塁跡

ここが北限土塁跡。道を挟んで左右にある土の盛り上がりが土塁跡です。しっかりと形が残っていますね。

そして東限土塁跡もあるはずなのですが、道が途切れて進めず。

北限土塁跡と一緒に形がしっかり残っているということなので、どこかにあるはずなのですが……。

東限土塁跡は北限土塁跡と繋がっているということなので、もしやと思い土塁の上を歩いていくことに。

普通歩いていく道じゃありませんね。歴史フィールドワークは時に茨の道を歩むことがあります。

東限土塁跡

案内板へ辿り着きましたので一応正解ですね。東限土塁跡です。

東北限が交わるところは鬼門にあたり、土塁をまたいで望楼が建っていたそうです。

関ケ原駅から東の方に大海人皇子が行宮を興して本営とした野上行宮跡もあるのですが、歩いて行くには少し遠いので今回は割愛。

関ケ原駅前観光交流館でレンタサイクルのサービスもあるので使おうかとも迷いましたが、東限土塁跡を見つけるのに時間と体力を使っちゃったので。

次なる目的地のある垂井駅へ向かいます。

垂井駅から美濃国府跡へ

垂井駅

関ケ原駅から1駅電車に乗って垂井駅に到着。

大学時代に訪れた時は今回とは逆に関ケ原駅の前に垂井駅にやってきました。

まずは大通り沿いにあるマクドナルドで昼食。大学時代に来た時もここで食べました。

タルイピアセンター

こちらタルイピアセンター。地域の図書や資料が所蔵されています。

卒業論文を書くにあたり教授から紹介してもらって不破関発掘調査の資料である『美濃不破関』を見せていただきました。

相川沿いに歩いて美濃国府跡を目指します。

京都の鴨川にある出町の飛び石みたいなのがありました。各地にあるんですね。

南宮御旅神社

南宮御旅神社に到着。

この地にはかつて美濃国府があり、そこに設けられた国府の宮が創建とのこと。

美濃国府跡

南宮御旅神社を南側から出てすぐのところに美濃国府跡があります。

国府とは古代に地方統治のため国ごとに置かれた官衙(役所)のことです。

美濃国府は8世紀前半に造営され、その後200年ほど機能していたとのこと。

国府には国司が勤め、国司の任務のひとつに関所の管理があります。つまり不破関から近いということも、この地に美濃国府が設置された理由のひとつでしょう。

区画塀跡や東脇殿跡のあった場所が花壇として再現されています。

こういう形でも遺跡を残せると歴史家としては嬉しいですね。

そんなわけで美濃国府跡から駅方向へ戻っていきます。今回の歴史フィールドワークも大詰めです。

垂井の泉

せっかく垂井にやってきたので垂井の泉にも寄りましょう。

南宮大社の大鳥居をくぐっておきます。

玉泉禅寺

玉泉禅寺へ到着。

垂井の泉

この寺に隣接してあるのが垂井の泉。

『続日本紀』に記載のある、美濃行幸中の聖武天皇が立ち寄った「曳常泉」はこの場所と考えられています。

藤原隆経は「昔見し たる井の水は かはらねど うつれる影ぞ 年をへにける」、松尾芭蕉は「葱白く 洗ひあげたる 寒さかな」と垂井の泉について詠んでいます。

垂井の大ケヤキ

この泉は県指定の天然記念物である大ケヤキの根本から湧き出ているのですが、なんと2015年に倒木してしまって今はありません。残念。

垂井駅にて歴史フィールドワーク終了

竹中半兵衛重治公の像

そういうわけで垂井駅前に戻ってきました。写真は竹中半兵衛重治公の像です。

これにて不破関フィールドワーク終了です。三関のうち鈴鹿関と不破関を巡りましたので、次は愛発関……と言いたいところですが、愛発関は場所がまだ明らかになっておりません。

また、愛発関に代わって三関に加わる逢坂関についても場所が明らかになっていません。発掘調査が進んで場所が明らかになってからフィールドワークに行ってみようと思っています。

それまでは三関以外のテーマでフィールドワークをしようかと思います。