古代三関の研究と歴史学入門

大学生・社会人向け歴史学入門。自身の研究テーマは「三関(鈴鹿・不破・愛発関)の成立起源と停廃理由」

三重県は何地方? 〜関西の語源と定義〜

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大阪府とその周辺の京都府・滋賀県・兵庫県・奈良県・和歌山県は関西地方と認識されていますが、三重県が関西か否かで迷う人が多いそうです。

関西の語源を知れば、関西地方の定義を理解できます。その語源は古代日本に存在していた三関(さんげん)に由来します。

僕は大学時代に三関について研究しました。三関とは何かと、関西との関係を説明します。

「関西」の「関」は関所のこと

関西」は「関の西」と書き、「関」は関所のことを意味しています。

関所は往来する人や物の検問と通行税の徴集のために国境付近の街道や水路に置かれた施設です。関所は古代より日本全国の各地に置かれ、江戸時代には「入り鉄砲に出女」と武器の持ち込みと江戸住まいの大名妻女の脱出監視が重要視されました。

関所は明治維新で撤廃されましたが、港や空港にある「税関」はいわば現代の関所です。また、現代でもよく使われる「関門」「難関」の語源も関所が由来です。

身近なところに関所の名残りがあり、「関西」もその1つというわけです。

三関より西側だから関西

「関西」はどの関所から西側のことを指すのかと言いますと、滋賀県と岐阜・三重・福井県の県境にそれぞれ存在していた不破・鈴鹿・愛発関です。

これら3つの関所は総称して三関(さんげん)と呼ばれました。三関は畿内にあった都を守護するために置かれ、古代の日本で最重要視された関所です。

三関はそれぞれ現在の滋賀県の東県境に位置していました。つまり滋賀県の東県境から西側が関西ということになります。

三重県は関西ではないが関東でもない

以上のことから「三重県は関西か否か」という議論は、「三重県は関西ではない」という答えになります。

逆に「三重県が関東である」というのも正しくなく、現代で使われる「関東」の語源は三関が由来ではありません。

かつて坂東と呼ばれた地域が関東のルーツであり、もし「関の東」と定義づけるのであれば坂東の西端に置かれた箱根・小仏・碓氷関の東側を関東と言うべきでしょう。

つまり「関西・関東」の語源は両者とも関所が由来ですが、それぞれ違う関所が由来というわけです。

正解としては三重県は、愛知県に接しているということで東海地方に属します。また、かつて都があった畿内に近接するということで近畿地方にも属します。

ただし、東は関東、西は近畿、北は日本海、南は太平洋に囲まれた地域を指す中部地方に関しては、近畿に属しているということで対象外になります。

三重県は日本の中心に位置しているがゆえに、とてもややこしいですね。

三関の成立年代と停廃理由

僕は大学で「古代の日本において三関がいつ成立して何故停廃したのか」というテーマで卒業論文を書きました。

提出後の口頭試問を担当した教授からは「極めてロジカルな論が展開された」「推理小説を読んでいるみたいでおもしろかった」と評価をいただき、論文の出来はなかなか良かったのではないかと自負しています。

しかし、毎年優秀な卒業論文は学科内で刊行される論集に載るところなのですが、残念ながら僕の論文は載りませんでした。教授曰く、選考の段階までは到達していたが、あと1つ検討すべき論文が欠けていたとのことでした。

論集に載るところまであと1歩でしたが、我ながら革新的な説の提示ができたなと自画自賛しています。そんな自慢の論文も原稿が僕の手元と大学に一部ずつ保管されているだけで、そのまま陽の目を見ることもなく5年の月日が流れました。

せっかく1年かけて書き上げた自慢の論文ですので、ネットの力を使って多くの人に見てもらうことで研究に一石を投じたいと思った次第です。

卒業論文のリライト記事

これからこのブログに投稿していくのは僕が5年前に書いた卒業論文のリライト記事です。

大学4回生の頃に書いた稚拙な論文を、一般の人でもわかりやすく且つブログ向けに書き直しました。

歴史学を専門とする研究者や学生の皆さんに対しては僕が考察した古代三関の研究に関する新しい解釈、それ以外の人に対しては歴史学が史実を紐解くプロセスを紹介できれば幸いです。

次回の記事:古代日本における関制と三関の概要

www.kodai-sangen.com

次回の記事では三関の研究を論じていく導入として、三関と関制の概要を紹介します。